「遊びを通して学ぶこと」「KYTだけで危険予知できますか?」でリスク分析やKYTを取り上げました。私の体験からリスクを考えてみて欲しいと思います。
私が保育園に通っていた頃、保育園と家の間に県道があります。友達と一緒に帰宅する途中、県道のこちら側から向こう側に石を投げて届くかどうかという遊びをしていました。当時は、今ほど交通量が多くないのですが、投げた石がトラックの窓を割ってしまったようなのです。私が投げた石が当たった? ということになり、父親には弁償と謝罪させてしまい迷惑をかけてしまいました。
中学生の頃、家を新築して間もない頃、居間で折り畳み傘を投げて渡したら、外れて窓ガラスを割ってしまいました。父親の顔を見れなくて、しばらく落ち込みました。またやってしまったと。 この時以来、物を投げる際は、リスクを考えるようになりました。
大学時代、仙台での学会発表後、一人で夜行に乗り青森に行き、十和田湖の奥入瀬川沿いに紅葉を見ながら歩き十和田湖に行き、午後バスで八甲田山のロープウェイ乗り場に行って、最終のロープウェイで八甲田山に登りました。帰りは宿泊先の酸ヶ湯温泉まで歩いて下山する計画でした。下山途中、道が二股に分かれていて案内板も地図もなく迷ってしまったのです。誰も歩いておらず、日が陰ってきて心細くなってくる始末。戻っても、帰りのロープウェイは既に出てしまっているはずです。防寒着、水筒や食物など登山用具も持たずに軽装で、所持品は、折り畳み傘とガイドブックしかなく、野宿もできない状態でした。 当時、「八甲田山 死の彷徨」という映画が上映されていて、自分も遭難するのではないかと思い始めた時、下方に明かりが見えて、ホッとした覚えがあります。助かったと。 目指す酸ヶ湯温泉の明かりでした。 二股のところで、反対方向に行っていたら、暗い山道で迷っていたかもしれません。初秋とは言え東北地方の夜はかなり冷え込むと思います。今思うと、無謀な登山だったと思います。 今は、登山の持物チェックや登山計画はしっかり立てています。
私は以前より、工作が好きで旋盤・フライス盤やボール盤などを扱った経験があります。 手で工作物を持って、ボール盤で穴を開けていたら、工作物が手から離れてドリルと一緒に回転し始めたことがありました。旋盤でアルミ棒を削っていたら、アルミは柔らかいので、切りクズが長くなって回転し始めて、手を切りそうになったこともあります。最近は、工作物は万力で押さえたり、柔らかい金属を切削加工する際は、ゆっくりと切削するよう心掛けるようになりました。リスク回避ですね。
ボーイスカウトの隊長時代、河でスカウトにカヌー体験をさせました。 インストラクタが2名付いていてはくれましたが、何人かが一度に転覆したのです。私も、一人のスカウトを助けるべく近くまで泳ぐのですが、服を着ているので重たく、靴は脱げそうになったりと思うように泳げないのです。何とか、助けた覚えがあります。河は流れがあるので、救助が難しい体験をして、それ以降は湖でカヌー体験させることにしました。
以上、私の恥ずかしい体験を紹介したのは、ヒトは知識よりも体験に基づいてリスクを感じるようになるということです。体験に基づいた直観は、大事であると思います。 「これは危なさそう」と思うとリスク回避できると思うのです。 前にも言ったとおもいますが、カッターを使ってみないとカッターの危なさは理解できないのです。危ないと言って使わせないと、理解できないのです。 世の中、あまりに過保護になっていませんか?