正月にNHKで放映していた「家康、江戸を建てる」(著者:門井慶喜 発行所:祥伝社文庫)を読みました。NHKで放映していたのは、5話の内3話についてドラマ化していました。今回は、比較的原文とドラマの乖離は少なかったように思いますが、原文では小判製作の庄三郎と後藤家の娘(広瀬アリスが出演)の縁談話は出て来ませんでした。ドラマの視聴率を上げるための演出でしょうか? 今回、昔と今の地形の変化を調べてみました。
資料参照ください。 → 江戸
p.1 家康が秀吉に江戸行きを要請した当時が左上図で、江戸城は海に面していて、現在の日比谷は海、霞が関は海岸だったようです。 その後、家康が江戸の街を建設していく際に埋め立てられて右図のように変化します。この時も、日本橋の近くまで海があったようです。右下が現在の地図です。最初の海岸線を青線で描いてみました。左下は、国土地理院発行のデジタル等高線図です。 これを見ると江戸城(現在の皇居)は武蔵野台地の東端に面していることがよくわかります。
p.2 渋谷駅は等高線図をみると、名称に「谷」が入っているように谷底にあります。「道元坂」が坂であるのもよくわかります。
国土地理院の地図はこちら → http://www.gsi.go.jp/kanto/kanto41001.html
p.3 江戸に飲み水を送る「上水」が6本あったそうです。この中でも「神田上水」は、外堀を横切って城内に水を供給するために、堀を横切る橋に水路を作りました。渡った後は「暗渠(あんきょ)」という地下水道を通って井戸に供給するのです。江戸時代既に人口100万人いたそうなので、水道のインフラ整備も大変だったと思います。結構東京は、台地や谷が多いのですから。 明日は、江戸城について調べてみようと思っています。